子育て
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親子関係
佐藤様
本日はお時間作ってゆっくり話を聞いて下さり、有難うございました。
息子や母に構いすぎて、主人には構ってやれなかった事。
仕事が忙しくて夜遅くまで頑張ってる事は知ってましたが、仕事でかなりストレス溜まってしんどい思いをしているのに気づいてやれなかった事。それに対して感謝の気持ちも伝えられていなかった事・・その話をしてる時に主人の立場を考えると心が痛みました。
それが今日やっと気づきました。
そんな気持ちを手紙に込め、伝えようと思います。
そして夫婦間のコミュニケーションを少しずつ取れるようにしていけたらよいなと思いました。
私自身も人から良く 見せたいからと、自分の短所は言えず自分の良い所しか言わなかった点。
短所=愛されるですね。
よく見せたいからと頑張ってると疲れるので、欠点もさらけ出して何でも話せるようになれたらと思いました。
今日の話の中で沢山、今後のヒントを得ました。
カウンセリングに行かなかったら、きっとこのまま何も改善はしないまま最悪な結果にもなったかも知れません。
自分を見つめなおす、良い機会でした。
すぐに改善とまでは行きませんが、少しずつ良くなる方向になるよう頑張り過ぎない程度に頑張ってみたいと思います。
本当に有難うございました!
『小学校高学年から五月雨登校になり、長期欠席と気づいたときには不登校になっていました。
子供だけでなく、私の心のケアまでしていただき、本当に救われました。
まさか大学まで行けるとは、夢にも思いませんでした。親子共々これからもよろしくお願いいたします。』
お二人に出会っていなかったら、子供がいまごろどうなっていたかわかりません。
何も話してくれないし、ゲームばかりしているし、将来のことを考えると
不安で夜も眠れませんでした。
お二人のところに通わせて頂くようになり、まったく笑ったことがなかったのに声を出して、笑うようになったことに、はじめはとても驚きました。ご飯をいっしょに食べる時も、おいしいと言ってくれるようになりましたし、何もせず、ただただゲーム三昧だったのが、好きなことを見つけ、熱中している姿を見ることができるようになるなんて、これまでの8年間がウソのようです。
まさか、親元を離れ、寮生としてやれるなんて信じられません。
毎年お休み中に、会えることを楽しみにしているようです。
いつもありがとうございます。
私たち夫婦の離婚や元主人の実家との関係、父親の人としてのあり方、動物に対する虐待など感受性が強く、小学校から不登校胃腸が弱く、からだもやせ細り病気ではないか?と思い、何件も病院に連れて行く日々でした。
そのたびに、子供は「自分は病気なんかじゃない」そう言っていました。
たまたま読み聞かせの仲間のお母さんから、ご紹介頂き、はじめておふたりと出会ったとき
半信半疑でしたが、子供の反応を見て、もしかしたら、だいじょうぶかもと、感じました。
「病気じゃないよ」とはっきりと言ってくださり、ケイコとマリオと会うたびに、子供はみるみる元気を取り戻していきました。猫背気味だったのが、姿勢もよくなり、食欲も旺盛になりました。驚くほど大きな声で話すようになり、いろんなことに興味を持ち始め、次々に動き始めるようになりました。
そちらでピアノとギターを習い始めて、半年後にライブをするなんてとても信じられませんでした。
ケイコとマリオに出会えて、子供も私たち家族も本当に感謝しています。
関東の小学校でいじめにあい、学校の担任からもいじめられ、職員室に怒鳴り込んだりどうしようもない状態で転校せざるを得ない状態でした。私の関西の実家近くの学校に転校したのですが、転校先でもまた同級生にいじめられ、先生方には恵まれてもののゲームにハマり、次はアニメ、フィギュア、昼夜逆転、雪崩落ちるようでした。
病院では発達障害と診断されました。
中学は卒業できたのですが、高校は寮のある学校で、同級生と友達関係はできたものの、それまでの大人に対する不信感から、一生懸命される先生方にことごとく反発し、態度も相当悪かったことから、進級が危ぶまれ、恩情をかけて頂いた担任の先生の努力も虚しく、約束を破り、留年が決まり、自宅に戻った時、制服を燃やしてしまいました。
通信サポート校に通い始めた頃、ケイコとマリオと出会い、おふたりのところに毎週末に通うようになると、その日は不思議なほど上機嫌で、笑顔になるんです。
口喧嘩が日常茶飯事な家なので、いつも警戒していているため、しかめっ面をしているか、
部屋に引きこもっているのが普通でしたが、気持ち悪いくらいに笑顔で、はじめは
信じられませんでした。
英語が大嫌いで、教科書を見ると頭が痛くなると言っていたのが、英語セッションを受け始めたら、頭痛もなくなり、授業にも出られるようになりました。
ケイコとマリオに出会う前は、しょっちゅうキレて、部屋のあちこちに穴があいていましたが、いっさい荒れることがなくなりました。
子供の激変ぶりには、ほんと驚くばかりです。
毎日、ケイコとマリオのところに行ってほしいくらいです。
私たちもストレスから解放されました。いつもありがとうございます。
元夫からのわたしへのDVが原因で離婚。元夫の間に出来た長男が小学5年生のときから不登校になり、大学付属の中学受験の失敗も重なり、引きこもり状態になりました。住み慣れた町を離れて、現在の夫の実家に身を寄せたものの、新たにこどもを授かり、そのこともあってか長男の引きこもり状態は悪化して行きました。
地元の中学は入学式に行ったきり、一度も登校せず、中学2年時に『不登校引きこもり相談会』でおふたりにはじめて出会いました。というのも長男は家で暴力を振るうようになり、正直元夫に姿が重なり恐ろしくなり相談に行ったのです。初めはどこまで話していいか分からず、なんとかしたいけど、長男を刺激するようなことは避けたいと考え、おふたりには申し訳なかったんだけれども、長男に会ってもらうことは避け続けていました。
面談は週1ペースでお願いしていましたが、長男への対応法を助言頂きながら、実際にやってみると、驚くほど変化があり、長男の状態が軟化してきました。それでようやくおふたりならお任せできるのではないかと思い、わたしたちが彼に厳しく当たってきたことや、手を出していたことも含めて洗いざらいお話しさせて頂きました。おふたりはわたしたちの苦悩や葛藤も受け止めて下さり、心から救われたと思いました。
長男が中学3年の時、いよいよ高校受験を迎えようとする11月に長男から、高校進学について相談され、それを機会におふたりに相談し、はじめて自宅に御呼びしました。
わたしたち夫婦ももう5年間息子の顔を見ていませんでしたので、ドア越しの面接をして頂きました。それ以来、毎週定期的に面接に来て頂きながら、長男の様子も落ち着いてきたのです。おふたりが高校を実際に見に行こうとお誘いを受け、一度も顔を見たことのないおふたりと高校を見に行く約束をし、しかも新幹線か飛行機でないと行けない遠方の全寮制の学校を見に行くことになったのですが、はじめはおそらくドタキャンすると思っていました。
ところが、往きは飛行機。帰りは新幹線で高校見学を成し遂げてしまったのです。初めての飛行機。初めての新幹線。初めての遠方へのお出かけにも関わらず、初めて顔を合わせた他人の大人と行ってしまったのです。それ以降も3人で、数カ所の高校を見学に行き、高校進学を決め、現在は地元の高校に通っています。家での生活も普通に家で一緒にご飯を食べ、たまに一緒にお出かけもするようになりました。未だに信じられないくらいです。
5年間まったくの引きこもりだったこどもが、1ヶ月足らずでまるで別人になったみたいでした。本当におふたりには感謝しております。
いまも継続的に面談して下さり、思春期の長男の変化にあわせて、長男ばかりでなく、わたしたち夫婦のサポートもして下さり、ほんとうに感謝しています。ありがとうございます。
(Before)中学時代、親の仕事の関係で海外の学校で過ごしていた。急な日本への転勤から、親の地元の進学校へ転校したが、環境の変化についていけず、高校1年生時に不登校に。自宅のアパートの部屋に引きこもり、退学届けを学校に申請すると言い出したところで、どうしたらいいのか分からず、母親と一緒に来談。
(After)やりたいことが分からず、もがき苦しんでいた。音楽に興味があることから、プロのミュージシャンとの出会いをプロデュース。プロのミュージシャンとのレッスンを通して、ライブを経験。学校の文化祭でもその成果を披露し、同級生や先生からも賞賛され、一時は音楽の専門学校への道を模索していたが、受験まで残り半年を切った頃から、必死で勉強し某有名私立大学に進学。ライブ活動を続けながら、キャンパスライフを満喫中。
(Before)医師より発達障害と診断され、大学病院からもアスペルガー症候群と診断された。人とうまくコミュニケーションがとれず、当時は家族の前でさえも笑顔を失っていた中学生。授業中は机に顔を伏せ、存在を隠し、帰宅してはゲームする毎日。教師にも無視され、ないものとして扱われていた。
(After)親御さんの来談を経て、お子さんと面談後、英語セッションを継続し、お子さんの特徴をつかみ、その子にあわせたコミュニケーションをとりながら、その子の世界観を共有することで、心を開くようになり、やがて笑顔を取り戻し、自己表現することもできるようになり、一度はあきらめていた高校にも無事合格!現在、全寮制の普通高校でクラス委員をやっています。
(Before)極度の適応障害と診断された小学生。集団生活に馴染めず、五月雨登校から、やがて不登校、保健室登校へ。中学、高校時代も五月雨登校が続き、大半を保健室で過ごした。クラスや集団の中に居ると、頭が痛くなり、嘔吐を繰り返していた。
(After)英語を通したプログラムによって、セッションを重ね、中学のときには行くことのできなかった海外への修学旅行を体験できるまでに。『とても楽しかった。』と旅行の思い出を語り、4年制大学へ進学。アルバイトをしながら、大学と趣味を謳歌している。大学入学後は1日も休んでいない。
(Before)医師より発達障害と診断され、大学病院からもアスペルガー症候群と診断された。人とうまくコミュニケーションがとれず、当時は家族の前でさえも笑顔を失っていた中学生。授業中は机に顔を伏せ、存在を隠し、帰宅してはゲームする毎日。教師にも無視され、ないものとして扱われていた。
(After)親御さんの来談を経て、お子さんと面談後、英語セッションを継続し、お子さんの特徴をつかみ、その子にあわせたコミュニケーションをとりながら、その子の世界観を共有することで、心を開くようになり、やがて笑顔を取り戻し、自己表現することもできるようになり、一度はあきらめていた高校にも無事合格!現在、全寮制の普通高校でクラス委員をやっています。
(Before)極度の適応障害と診断された小学生。集団生活に馴染めず、五月雨登校から、やがて不登校、保健室登校へ。中学、高校時代も五月雨登校が続き、大半を保健室で過ごした。クラスや集団の中に居ると、頭が痛くなり、嘔吐を繰り返していた。
(After)英語を通したプログラムによって、セッションを重ね、中学のときには行くことのできなかった海外への修学旅行を体験できるまでに。『とても楽しかった。』と旅行の思い出を語り、4年制大学へ進学。アルバイトをしながら、大学と趣味を謳歌している。大学入学後は1日も休んでいない。
(Before)小学校高学年から五月雨登校。学校内での陰湿ないじめや教師に対する不信感から、不登校になる。体調不良が続き、病院に連れて行かれたが、薬を処方されるだけで、一向に改善されず、他のクライエント様からのご紹介で、はじめての来談。
(After)ギターを弾いてみたいという興味から、生まれてはじめてギターを手にした中学生。プロのギターリストとの出会いをプロデュース。ギターを始めて、わずか1年で観客を前にして、ギターソロ演奏を成功させ、1年半後には、自分で作詞作曲した曲を完成させ、あわせて4回のライブを成功させました。
(Before)複雑な家庭環境の中、情緒不安定となり、中学生の時から、五月雨登校を繰り返し、高校は特進クラスに合格したが、同級生からのいじめを受け、不登校気味になり、ことあるごとに問題を起こすようになり、方々とあちこちのカウンセリング受けたが、どうにもならず来談。
(After)英語セッションを通し、才能を発掘。
映画俳優のヘアメイク。メイクアップアーティスト、カメラマン、照明、などプロ集団プロジェクトチームを結成。
某有名レディス雑誌の読者モデルに応募し、プロのモデルばかりの中で唯一素人で、プロダクションに所属せず、人生ではじめてのオーディションで見事最終選考まで残った。その後、某有名プロデューサー雑誌企画に応募。全国ベスト10に選ばれ、●●コレクションへ参加も実現。大舞台に立ちました。
(Before)小学生のときに、いじめを受け、教師からも罵倒され、転校を余儀なくされ、転校先でもいじめと適応障害から不登校に、某有名国立●大病院医師からはアスペルガー症候群と診断され、高校には進学したものの、問題行動のため退学。他の高校へ転入後、通信サポート高校の教師からも見放され、五月雨登校が続き、単位が足りず、進級が危ぶまれた頃に親御さんが来談。
(After)お子さんとの面談を経て、英語セッションを開始、関係性を構築。無事単位を取得。高校卒業と希望していた専門学校への進学を決めた。
(Before)幼少期から兄弟と比較されてきた末っ子。両親はブランド志向で長男は思い通りエリート街道まっしぐら。一流企業から複数回ヘッドハンティングされるたびにキャリアを積んでいった。そんな兄や両親に反発し、高校ではヨーロッパへ留学。大学へ進学するも、目的が見つからないまま3回生を迎えた。就活で企業の話を聞きに行くが、どうしても兄と比較され、兄からもそんなしょうもない会社とののしられ、バカにされ続け、ついに大学に行く意味を失いかけ、退学届けを出そうとした際に相談を受けた。
(After)セッション当初、アメリカの大学でMBAを目指す目的で留学を予定していたが、幼少期から大好きだったサッカーへの興味から、スペインへ1年間留学を決意。留学中も複数回にわたってセッション。帰国後のセッション後、外資系企業数社から内定を受けたが、輸出関連企業へ就職。留学経験を生かし、大好きなサッカー仲間と週末を楽しみながら、社会人として楽しく過ごしている。
『当初は子供のことで相談していたのですが、実は子供のことが原因ではなく、自分の親からのプレッシャーで自分をがんじがらめにしていたことに気づくことができました。
自分が子供のときに満たされなかった思いを受け止めていただき、まるで子供のときの自分にかえり、両親に見守られながら、今まで抱いていた不全感が満たされるようでした。
今は子供達とも素直に話すことができるようになり、自分なりの親子関係を築くことができています。』
『修士課程の卒論時に担当教授との折り合いが悪く、まったく取り合ってもらえない状態でしたが、ほんとうについらいとき、お話を聞いていただき受け止めていただいたおかげで無事大学院を卒業し就職することもできました。
その後もつらいときお話を聞いていただくことで次に進むことができています。いつもありがとうございます。』
『自分が何に向いているのか?何をすればいいのか?わからず自暴自棄の状態にまで落ち込んでいたとき、自分の外側ばかりを気にしていた自分に気づかせてくれ、内なる声に耳を傾けるとき、そばで寄り添いながらサポートしていただきました。
ひとりで悩んでいるとグルグル思考の迷路に入り込み、自分がどこにいるのかさえわからなくなっていました。
なかなか自分の思考をかえることができないので、その都度寄り添っていただいて助かっています。』
イケイケで進んできたこの何十年間。
自分が頑張っていればなんとかなってました。いや、なんとかしてきました。
会社が大きく成長するとともに、人も増え、いつのまにか若い社員のことが理解できなくなっていました。
気合いを入れたら何とかなっていたのは昔の話。
若い社員の心のサポートやら家族の相談までお世話になっています。
また電話させてもらいます。
親との葛藤が原因で、しんどくなるときはいつも親の過干渉が原因でした。
親が求める理想の子供にはなれず、反発しながらも認めてほしい、認めさせてやる、という葛藤の中でいつも苦しんできました。
親の理想像に苛まれ苦しかった時期もありましたが、大学を卒業する前にできた留学はほんとうに素晴らしい経験でいい仲間が世界中にできています。
自分でも情けないくらい弱い自分を認めてくれて、まっすぐに自分として生きることを応援してくれているおふたりの存在は自分の心のふるさとであり、家族だと思っています。
ほんとうにありがとう。
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